北坂養鶏場

はたらく人はたらく人

打ちのめされに来ている

ピンチヒッター:KJ(北原淳平)さん 2022年9月

第八回目となる「はたらく人」。このインタビューこのインタビューは北坂養鶏場ではたらくさまざまな人の話に耳を傾け、はたらきぶりや暮らしぶりを探る連載です。第九回目の「はたらく人」は、北坂養鶏場のピンチヒッターKJさんこと北原淳平さん。普段は隣町で「ニュースナックKJ」を営む店主です。

KJさんこと北原さん

-北原さんは「ニュースナックKJ」という飲食店を営まれているんですよね。 北坂養鶏場のある北淡エリアから車で40分ほど離れた洲本市内で「ニュースナックKJ」というお店を営んでいます。僕は北坂養鶏場のアルバイトでもなく、社員でもなく。この連載に僕が出ていいのかなと、話しながら未だに思ってるんですが笑。
-北坂養鶏場の肩書としては「ピンチヒッター」なんですね。 今は、年に数回ですが、数年前にがっつり働かせてもらって、それ以来ピンチヒッター的にお手伝いに伺っています。
-どういったきっかけで北坂養鶏場に来られるようになったのでしょうか? 北坂養鶏場の社長とは、今のお店をはじめる前から取引もあったし、つながりもありました。2019年の年末頃に、自分の暮らしや仕事について立ち止まって考えたくなったときに、手を差し伸べてもらったのが北坂養鶏場なんです。

スナックのマスターが養鶏場に?

洲本市内で営む「ニュースナックKJ」のカウンターにて。
-スナックと養鶏場、まったく違う職種の組み合わせです。 2015年に「ニュースナックKJ」をはじめた頃は「半農半スナック」のスタイルで生きていきたいなって考えてたんです。
-農業とそれ以外のことを組み合わせたライフスタイル「半農半X(はんのうはんえっくす)」ですね。農業とスナックを組み合わせって、どんなことを思い描かれていたのでしょうか? 20代は東京で仕事して、30代は島に戻ってきて、洲本市内のレストランで雇われ店長になって。それなりに給料ももらってたし家族もいたけど、サラリーマン的な暮らしに辟易としてたんです。

「淡路島の田舎の長男やのに、それらしいこと何も知らんな、40歳超えてジタバタするもの嫌だなぁ」なんて親父に話してたら「今の仕事やめて何かしたいならスナックしろ。昼間は俺と畑したらいい。俺が農業と地域の習わしを教えてやるから」って。
北原さんのお店のカウンターには、お父さま「北原文雄」さんが執筆された本がいくつかならぶ。

-思いもよらない組み合わせですけど、お父さんからの提案って素敵です。 夏なんか、夜中2時位までスナック開けて、朝の4時半位に帰ったら、親父が畑の丘の上でタバコ吸って待ってるんですよ。「やらんか~」いうてね。

でも、2年半で親父が急逝して。基本的な機械の使い方とか、草刈りの範囲とか、地域に迷惑かけない方法とか、ほんとそれだけ教えてもらって、いっちゃったんですよ。

-2年半、ですか……。 短い時間でした。親父が残した1反の畑は、半分ほどを母が続けてくれてるけど、親父がいなくなったら僕はほとんど関わらなくなっちゃって。一方でお店は繁盛して起動にも乗ってました。イメージとはどんどん違う方向に進んでるなぁって悶々と……。5周年を迎えるにあたって振り返っていたら「思い描いてたこと何もできてないやん」って。

するとある日、元気な頃の姿で親父が夢枕に立って「つべこべ言わずに畑行って玉ねぎやれ!」って笑。で、お店休んで一回リセットすることにしました。

北原さんが携わった仕事は?

-北坂養鶏場に通いだしてどんなお仕事に携わったんですか? 最初は社長も僕に気を使ってくれて「直売所で販売担当する?」なんて言われたんですよ。でもそれじゃ意味がないなって。「一番きつい仕事させてください」って、お願いしました。

そこではじめにやった仕事が、鶏たちの生存チェックでした。鶏舎と鶏舎を鶏たちが移動する大移動のお手伝いもしました。生きてても捕まえるのが怖いのに、ぐったりともう動かない鶏なんてほんと怖かった。

-生き物たちと仕事するわけですもんね。 何万羽といる鶏の間を歩きながら、糞やおしっこかけられ、元気よくつつかれたりしてね。それを何十年も続けてるおばあちゃんの大先輩に教えてもらいながら「打ちのめされる」感覚でしたね。

器用な方ではないので時に叱咤されつつ。そんな経験、大人になってできるもんじゃないです。

高床式の鶏舎の下に落下して亡くなった鶏を回収する北原さん。

-それはお父さんとしていた農業とはまた違った感覚だったんですか? 畑の仕事で感じていたのと同様に、土や光や水にふれる気持ちよさや、鶏たちのあふれる生命力を感じる喜びもありました。

だけど我が家の畑の場合は「たった今、この草を抜かないと!」なんてことが連続して起きることはほとんどなくてマイペース。

一方で、養鶏の仕事って命と隣合わせ。昨日まで元気にしてた鶏が害獣に襲われ死んでるなんて日常茶飯事。生き物だから毎日体調も違うし、寒ければ餌をよく食べたり、夏バテしたり。

-感触というか手触りというか、聞いていてもとてもリアルですね。 あんなダイレクトに生命力を感じることってなくて。想像もしてたけど、聞いてたけど、産業として命に関わるって、脳天に衝撃をくらうというかなんというか。一歩踏み込んだ経験させてもらいましたね。

次のピンチヒッターの形

-その後、5周年は無事に迎えられたんですか? それがこのコロナ禍でしょう。5周年の2020年4月には、はじめての緊急事態宣言が発令されてそれどころじゃなかったですね。

でも逆によかったこともあって。コロナで仕事が全部なくなっちゃった友人が「僕も北坂さんところにお手伝い行きたいです」なんて声かけてくれるようになったんですよね。

-おもしろいですね、今度は北原さんが間を取り持つというか。 本業が飲み屋の店主なんでね。僕が得たこの経験は、お客さんにどんな形であれ還元したいと思っていますから。

今の仕事がつまらんとか言われると「北坂養鶏場いってみる?」って笑。普段みれないこと、感じれないこと、それがあるから。のらりくらりとサラリーマン的暮らしするよりよっぽどいい経験ができると思う。

-「行ってみたい」っていう方がいたら、一緒に行ってくれるところが北原さんらしいですね。 自分だけに留めずわかちあいたいのかな。「あぁ、なんか生きてるな」って。きれいなものがきれいとは思わないから。その裏のいろんな有象無象があって、これを知っていてやっと人生に深みが出るんかな~って。

-これからも北坂養鶏場のピンチヒッターは続けていきますか? 「いつでも声かけてくださいよ」って社長には言ってます。スナックの仕事だけやってたら、3日もしたら暮らしに飽きてしまうんで笑。

僕みたいな勝手わがままなならず者を、受け入れて付きあってくれる北坂養鶏場のみなさんの懐の広さには毎回感謝しています。

心身ともに今日も解放させてもらってありがとう!って。さらに最後にはお金までいただけるなんてそんな有意義なことあるかなって感心してしまうほどです。このマインド、あるかないかって結構重要だと思いませんか?

自分だけでもいいし誰かと一緒でもいいし、年に数回はお邪魔したいなって。この関係性が続けていけたらなと思ってます。

KJ(北原淳平)  ピンチヒッター

北原さんのとある一日

6:30
起床
8:00
北坂養鶏場到着
作業
12:00
昼食
作業
17:00
退社
18:00
夕食・入浴
21:00
スナックオープン
2:00
閉店
4:00
就寝

 北原さんを知るQ&A 

お昼休憩のおすすめスポット:鶏舎の看板下で西海岸を見ながら。

うまくいかないときの対処法:
ご先祖さまに手を合わせて畑に行って草刈りをする。

なくてはならない仕事道具は?:
ゴム手袋と長靴。鶏に糞やおしっこを引っ掛けられるのでナイロンパーカーも必須!

みんなからみた北原さん

・初対面ではあんまり喋らんけど、慣れてきたらおもろい!作業も一所懸命がんばる人や。
・一見、自由人に見えるが、芯があり、しっかりしている。
・なぜか一緒に居ると気持ちが前向きになる。
・おしゃべりが楽しい人、気持ちが熱く、情熱的。