はたらく人
今回で最終回の「はたらく人」。これまで北坂養鶏場ではたらくみなさんの話に耳を傾け、はたらきぶりや暮らしぶりを伺ってきました。最終回は代表の北坂勝さんです。代表のふだんの仕事について、どうして「はたらく人」をはじめたのか。ここではたらく人たちやこれからについてお話を聞きました。
“いつか継ぐ”って考えていたの?
-代表に聞くのも不思議な話ですが、北坂養鶏場ではたらくようになって何年になりますか?
28年前になるのかな?幼い頃から父と母が家族で養鶏とかみかんの果樹園を営んでいて。このあたりには他にも数件、養鶏場があったんですよ。
-養鶏とみかん?しかも養鶏場が他にもあったんですか。知らなかったです。
みんなでたまごをまとめて明石に送っていたみたいです。養鶏じゃなくても牛を飼っていたりしてね。このあたりはだいたい畑と畜産をセットでやっている家ばかりだったよ。
-いくつくらいから養鶏場のお手伝いをされるようになったか覚えていますか?
中学生とか高校生になる頃には、姉がたまごの配達にいくのについてまわっていました。専門学校に通うになって週末にちょこちょこ関わるようになっていったかな。
-北坂養鶏場を「継ぐ」って、意識したのはいつ頃ですか?
暗黙の了解と言うかなんというか。親も特に口に出すわけでもなく、僕もなんとなく、そうなるんだろうなって。
-継ぎたくない、継ぎたい、とかそういう次元ではなかったんですね。
専門学校を卒業して、いざ働くようになってからは、鶏の世話、除糞、たまごの発送の繰り返し。変化もなく、鶏にも興味がなかったから笑。ポジティブな気持ちでははたらいてなかったなぁ。
-鶏に興味がなかったなんて……!笑。
かなり斜め向いてたなって思うよ笑。30代になってようやく、うっすら責任感が湧き出して。ちょっとちゃんとせなあかんかも。って思うようになって。少しずつ他の養鶏場のこと調べたり、ひよこをお世話になっている方の勉強会に参加したりするようになったかな。
-そこから経営など、徐々に勉強されていったのでしょうか?
それが、2006年に「たまごまるごとプリン」をはじめた同じ年に、父が亡くなって。なんの心の準備もないまま養鶏場を引き継ぐことになって。さらに子どもも生まれて育児がはじまって。子どもをおんぶしながらプリンを発送したりして、寝る間も惜しんで働いて。一度にいろんなものがドサッと落ちてきた感じだったかな。
-想像するだけでも目がまわりそうです。当時の心境、覚えていらっしゃいますか?
とりあえず養鶏場はなんとかなってるけど、経営とか、資金繰りとか、なにか問題があったときに、誰に聞いたらいいのかわからないし。どうしたらいいんだろうって、とにかく困ってました。知人伝いに経営者の人に相談して、商工会に入って。「知ってる人に聞いたらいいのか!」なんて。代表として、非常に苦しいスタートでした。
北坂養鶏場の代表ってどんな仕事?
-代表としてのはじまりは、まさに怒涛だったんですね。
今もずっと、整えてる感覚ですよ。養鶏場を継承した時にようやく、生産者・経営者として動きはじめたわけですから。
-経営の講師から、デザイナーまで、この15年でさまざまな出会いがあったと聞きました。
とにかく困ってたんですよね、自分じゃできない問題がたくさんあって。勉強会に参加しても「これ、自分じゃできひんかも……」ってこともしばしば。すると、専門家派遣の制度があると聞いて。「そうか、来てもらうこともできるんだ!」って。次第に、WEBの解析やデザイン、商品開発など、色んな方に養鶏場に来ていただくようになりました。
-当時、印象的だったことはありますか?
これまで俯瞰してこなかった「自分の仕事」について、改めて問われることが増えたことでしょうか。「なんで養鶏場をしているんですか?」「何をしているときが楽しいですか?」「どんな人に養鶏場に来てもらいたいですか?」この問に何も答えられなかったんです。
-「自分の仕事」を客観的に見つめるってとてもむずかしいことです。
なんかいろんなすっきりしない感覚が常にあって。うちじゃ平飼いも直売もできないとか、いろいろ言い訳しながら「はたらかなあかんからやってる」と思い込んでいて。「何のためにやっているのか」。と、自分に問い合わせ、少しずつ整えていきました。
-まるで、絡まったものをときほぐすような感じですね。
ひとつひとつ、考えを整理して、行動して。まずはロゴをつくって、名刺をつくって。出会いたい人に会えたらとマルシェにも出店するようになり、見学会や直売所をひらいたり、島の土をつくったり。自分自身の欠片をあつめて理解するように、今できるところから積み重ねていました。
ひよこと遊ぼう!の一コマ。この企画も、当時インターンに来ていた大学生とつくりあげたもの。
-お話が少しずつ、今の北坂さんに近づいてきた気がします。
関わってくれる人も増えて、少しは自信もついたし、楽しいと思ってはたらきはじめましたからね。同時に、北坂養鶏場ではたらく人もぐっと増えていきました。
「はたらく人」の連載をはじめた理由
-現在の北坂養鶏場は、直売所に、たまごまるごとプリン、発酵鶏糞の島の土、島内外のマルシェ出店と大きく広がっています。20代の北坂さんが聞くとびっくりしそうですね。
笑。ほんとにね。かつての自分は、農場で鶏の世話をして、一生その繰り返しが続くんだと思っていました。ですが、新しい商品を生み出したり、イベントに赴いたり、それ以外のことを僕はやらなきゃならなかったんですよね。
-この「はたらく人」の連載も新しい取り組みでしたね。はじめようと思われたのはなにか理由があったんでしょうか?
僕らがやっていることを「意味のあるもの」にしたかったんです。僕が他の人の仕事を見て「いいな」って思うように、他の人から北坂養鶏場の仕事を見てもらった時に「いいな」って思ってもらえたら、すごくよくないですか。
-そうなると、すごくすごく、素敵ですね。
僕の場合は立場も変えられなかったし、状況を変えてようやく楽しくやるようになってきました。人が増えて任せられるようになって、みんなはどうだろう?と。僕らがここでやってることに魅力を感じてもらえるものをつくりたいし、ここではたらいている人たちとそういう仕組をつくりたいなと。
-人も増え、活動の裾野が広がりましたもんね。
いま中尾さんがやってくれている配達も、青木くんがやっている除糞や島の土も、新入社員さんがやってくれているイベント出店も。最初は僕ひとりではじめたことでした。だからみんなに託した仕事を、それぞれの視点でみつめなおしたかったんだと思います。
-これからの北坂養鶏場に期待することってありますか?
みんながどう思うかかな。これまでやってきたことも、ある程度は考えて準備はしていたけど、僕がやりたいことをやるのは違うなって。直売所やイベントも、場所移したい!とか、やってみたい!って言われたら「チャンス」と、思って任せてます。
-ずっとインタビューしてきて、みなさんの自主性の強さは何に由来しているのだろう?と思っていたのですが、謎がとけました笑。
僕は流れに身をまかせて、そっちに流れるなら、こうしようかと笑。ある程度道筋はつくるけれど、みんながイメージしてくれるから形になっていってると思う。これからの北坂養鶏場は、いろんな人が来て、いろんなことに気がついて、旅立っていく。そんなはたらく場所になるといいのかなって。そうやってどんどん変わっていけるといいよね。
-若手からベテランの方まで、お話を聞いてみていかがでしたか?
もっと淡々とした仕事紹介になるかなと思ってたんだけど笑。ここの仕事ひとつひとつが、思った以上にその人その人の形になっているというか。それぞれが個性的だったし、こんな感動話になるとは思ってなかったです笑。はたらくことを通して、みんなの生き方を聞いたような、そんな1年でした。
北坂 勝 代表
北坂さんのとある一日
- 6:00
- 起床
- メールチェック
- 7:00
- 朝食
- 8:00
- 朝礼
- 除糞作業
- 12:00
- 昼食
- 13:00
- 商談
- 打ち合わせ
- 19:00
- 夕食
- 家族団欒
- ランニング
- 事務作業
- 24:00
- 就寝
北坂さんを知るQ&A
大切にしている言葉:一期一会
なくてはならない仕事道具は?:グリップのきく手袋
休日の過ごし方は?:家族4人でお出かけ
みんなからみた北坂さん
・怒る姿を見たことない。冷静沈着。声が小さめ。
・昔から大きな機械が壊れたら直せるし、誰にでも分かりやすく説明してくれる。
・「やってみる?」と誘うのが上手。気づいた時にはもう任せられている。
・作業日に一緒に動くと、速そうに見えないのに誰よりも速い。