北坂養鶏場

はたらく人はたらく人

若い子らに渡さな

配送 配達担当:中尾秀孝さん 2022年4月

北坂養鶏場は、さまざまな「はたらく人」の手を介して生産物をお届けしています。鶏に直接関わる人もいれば、そうでない人も。「はたらく人」は、ここで営みを重ねる人たちの、はたらきぶりや暮らしぶりを探っていく連載です。第四回目は、北坂養鶏場のあらゆる配達を担当する中尾さんにお話を伺いました。

49歳まではなにしてたの?

-中尾さんが入社されたのはいつ頃ですか? 今年で丸12年、2010年の4月9日のことです。

-日付まで鮮明に覚えていらっしゃるんですね笑。 長女と長男の入学式が重なった翌日のことなんです。妻と2人で奔走した日でしたから、よく覚えています。当時、49歳でした。

-転職のきっかけをお伺いできますか? 実はそれまで、淡路島で200年続く衣料品雑貨のお店を家族で営んでいたんです。島内に5店舗構えていたときもありました。地震や水害が重なって経営は厳しくなっていって、最後の2年間は貯金を切り崩して暮らしていました。もうこれでは家族が食べていけない!という状況で、求人を探し出会ったのが北坂養鶏場でした。

愛妻弁当を食べる中尾さん。お昼ごはんは車の中で。

-ご家族と営まれていたアパレルから第一次産業への転身、大きな変化だったんですね。なぜ北坂養鶏場だったのでしょうか? さきほどお話した水害というのが、2004年の台風23号の洪水被害のこと。当時洲本にあった一番大きな店舗が、水に浸かってしまったんです。店舗の衣料品はすべて泥水にのまれてドロドロ。いくつも洗濯機を借りてまわしても追いつかなくて……。そんなときに、ランドリーで社長に出会ったんです。

-ランドリーで、ですか? はい笑。洲本市にランドリーの横に、北坂養鶏場のたまごの自動販売機があるんです。そこに配達に来られていたのが社長でした。大変な状況だったんですが、自然に声をかけてくださったことがなんとなく頭に残っていて。

その数年後、経営も苦しく精神的にもギリギリの状態で求人を探していたら「北坂養鶏場」の文字が飛び込んできて「あのときの、たまごだ!」って。水害のときに出会ったのも何かのご縁かもしれないなって、面接を申し込みました。

中尾さんの配送ってどんな仕事?

-中尾さんは、配送担当とお伺いしました。どんなお仕事を担われているのでしょうか。 島内にある6箇所の自販機と、卸先であるホテルやカフェなどに卵を配送しています。北坂養鶏場がつくっているたまごプリンの工場に卵を運ぶのも私の仕事です。あとは、雛たちがいるときは餌を運ぶ仕事もありますね。

雛たちの餌の運搬。一回で2時間以上かかる作業。

-配送といっても多岐にわたるんですね。島内の配送先もとても多そうです。 ありがたいことに、島内の卸先さんは200件ほど。北回りと南回り、島内の配達は2人で分担して回っています。店舗によって掛け売りか現金か、納品場所や担当者さん、名前をみたら全部パパーンとわかるように覚えておくことが必要です。

-たくさんあると覚えるのも大変そうです。 家業で培った力なのか、かつてお得意さんと接していたのと同じ感覚でやっています。顧客のみなさん、ひとりひとりとお話して、その人が望んでいる服をセレクトしていましたから。

-同じ感覚なんですね。 いまはたまごをお届けするのと同時に、担当者さんと距離が縮まるよう「安心してもらう」ことを強く意識しています。「今の気候のたまごは水気が多いですよ」とか「こんな調理方法をみつけましたよ!」などなど。いいことも悪いことも。いろんな話題を一緒にお届けするんです。「あの人から買いたい」と信頼してもらえれば、北坂養鶏場のファンが自然と増えていきますからね。

普通の養鶏場じゃない

-先程から気になっていたんですが、中尾さんの手帳はびっしり真っ黒ですね! 笑。そうなんです、みんなから“中尾メモ”なんて呼ばれている手帳です。仕事の予定はもちろん、どんな出来事があったかを書き込んでいます。1年に一回しかやらない作業とかもあるので、その時のために去年の手帳も持ち歩いています。

中尾メモ。プライベートの予定も一緒に書き込まれている。

-社長の予定まで書き込んでありますね笑。 ピンチヒッターで取材対応に急に呼ばれたりもしますからね笑。普通の養鶏場ではなかなか経験できないことをさせてもらっています。

-配送の領域を超えていますね。 当初は、車に乗るだけの仕事かと思っていましたから、予想を裏切られたことが非常に楽しかったです。今では定番イベントになった「ひよことあそぼう」の企画も担当したんですよ。水を得た魚とはこのことでした。

-そんなことまで!本当に多岐にわたるお仕事を担われていらっしゃいますね。社長と中尾さんが、同じ方向を見ていないと難しそうです。 私が入社した頃、ちょうど北坂養鶏場がブランディングを意識しはじめた頃だったんです。たまごプリン片手にあちこち呼んでいただいて、全国津々浦々、社長と色んなところに行きました。社長がお客さまにかけている声掛け、ひとつひとつ聞きながら、考えていること、目指している方向を自然と感じていったように思います。

もとに戻して若い子らに渡さな

-北坂養鶏場は、40代~60代のベテランの方々も多いですよね。 そうですね。僕が今年で61歳、真ん中の世代です。そうそう、若手以外が集まった「老人会」と言う4人のグループがあるんです。

-老人会ですか? 最初は自虐的に「老人会」って呼びあってた4人なんです。結成は3年前に20代になりたての新入社員が入ってきた頃。若手が研修とかで月に何度か仕事を抜けることがあって。15時の休憩にぽつんと残された気分でコーヒーのみながら「若い子らはおいしいジュースでものんでるんかな」なんて笑いあってたんですよ。ちょっと寂しさもあったのかもしれないですね。でも、2020年11月に「老人会」の仲間たちの強さを改めて感じました。

-北坂養鶏場で起きた、鳥インフルエンザの発生ですね。 はい。鶏舎から14万羽いた鶏が一羽もいなくなったんです。ガランとした鶏舎を前にしたとき、老人会のメンバーは誰も口にはしなかったけど「もとに戻して若い子らに渡さな」そう、思ったんです。

鶏舎に指一本でも入る穴があってはいけないと指導があって。そう言われても、登られへんような高いとこどうやって防鳥ネットはるねんとか老人会は喧々諤々。経験したことのない壁にぶち当たって、これまでの経験値を持ち寄ってそれぞれが養鶏場の復興に向けてどうやったらいいかって考え抜きました。

-想像できないです。 二度とやりたくないし、二度と起こしてはいけないと思ってます。何から始めたらいいかもわからなかったけど「ゼロからどうしたらいい?」って、みんなで毎日集まって話しあいを繰り返しました。

10数年前、20数年前にたまたま北坂養鶏場に集まった、それぞれ違うところで働いてきた人たち。思いもよらぬ解決策を思いつく人がいるんですよ。リフトも届かんところを、はしごを軒にかけて板渡してぶらさがって、命がけで何箇所も修理しました。

-どんな想いだったんでしょうか。 鳥インフルエンザの直前って右肩上がりで、どんどんお客さんが増えているときでした。配達先もどんどん増えてね。でも新入社員の子たちが入って間もなし。「この子らええとこ全然味わってないやん」って。「楽しい経験、若い子らもさせたげたいよな」って。とにかく「もとに戻して若い子らに渡さな」それだけです。

-若手のみなさんと老人会のみなさん、素敵な関係性です。 老人会のメンバーは、新入社員と同じ世代の子どもたちがいるんです。私もそうでした。だから子どもたちを見ているような気分なんですよね。修理が必要な鶏舎はあとひとつ、もう少し!

-残るひとつの鶏舎は、何月から稼働する予定ですか? 今度の6月に雛がはいるの予定です。もうほぼほぼできましたが、また屋根の上の角の届かないところはどうしようかなって笑。最後のひとつ、それができたらいつやめてもいい笑。

-もっともっと活躍してください笑。 笑。そうですね、自販機の売上もどんどん戻ってきてますし。実はたまごプリン以外の加工品も商品化できたらいいのにって入社してからずっと考えているんですよ。やりたいこともあるし、まだまだ復興途中。若い子たちのことも見守り続けないといけませんね。

中尾 秀孝 配送 配達担当

中尾さんのとある一日

5:30
起床
7:30
新聞を読んで朝ごはん。身支度をして出社。
8:00
自販機の売れ数検証。天気などを見ながら傾向を収集。/dd>
自販機や配達先の卵の数を確認し発注。
9:00
発送車に卵を搬入、配達へ。
週に3回は、鶏舎へ餌の搬入も。
12:00
愛妻弁当でお昼休憩
14:00
鶏舎の修理
15:00
配送のフォロー
17:00
終業

 中尾さんを知るQ&A 

うまくいかないときの解決方法:酒を呑んで寝る。もう一回朝から考える。
休日の過ごし方:お風呂に5時間入って、趣味の俳句を詠み、競馬新聞を読む。
座右の銘は?:人事を尽くして天命を待つ。あとはケセラセラ!

みんなからみた中尾さん

・おばちゃんみたいな人。
・話がうまくて誰とでもどんなジャンルの話もできる。
・何事も、流れをつくって準備してくれている。
・俳句が大好き。